2-01:旅の音、心の音03

長崎浦上・自分の十字架

爆心地の中心を示す黒い碑。
そのすぐ横には赤いレンガの柱。
原爆で破壊された浦上天主堂の壁の一部を移したそうだ。


そっと触れてみる。
その冷たい感触に、キリシタンへの長い迫害の時代の後、ようやく公にできるようになった信仰が、再び打ち砕かれていったことを想った。
しかも、原爆を載せた爆撃機は、一人の神父の祈りと共に送り出された。


今もウクライナで、パレスチナで、神への祈りとともに暴力と破壊が続いている。
信仰など無意味だと嘲笑うように。


そこでイエス様の御声を聞く。

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マタイ16:24)

自分を捨てられないこの私に。
命を保とうと、それを失ってしまう私たちに。



マタイによる福音書16章24〜28節

それから、弟子たちに言われた。
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。」


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