8-02:FEBC学生インターン奮闘記―アイドル?それともidol?3

FEBCの学生インターンが日常の中で主イエスを尋ね求める奮闘?の記録「アイドル?それともidol?」。昭和歌謡とK-popをこよなく愛する一人の大学生が、この世俗のただ中で生きておられる主イエスを見いだそうとする挑戦。その第3話・最終回をお届けします。
画・天のムジカ

本当の私、本当のイエス様

FEBC学生インターン天のムジカです。
誰にでもあると思うのですが、私にもコンプレックスがあります。例えば自分の感情をストレートに表現するのが苦手なこと。だから、その感情表現を歌やダンスでしている昭和歌謡やK-popのアイドルに憧れるのかもしれません。

そういえばアイドルたちは、コンプレックスのない、自分に自信のある人たちに見えます。さっきは「誰にでもある」と書いておきながら矛盾していますよね。たぶん、「こうあってほしい」という自分の願望をアイドルたちに投影しているのだと思います。

「それってアイドルにだけ?」
と、ここでまたまたFEBCの方から鋭いご指摘をいただきました。

確かに、家族や友達にも「こういう人であってほしい」とか「優しい言葉をかけてほしい」とか、自分の願望を投影していること、結構ありますね。

さらに「じゃあイエス様には?」と聞かれて、ドキリとしました。まさかイエス様には…と思いたかったのですが…。

私にとってイエス様は「いつも優しくて暖かい人」。

でもFEBCのインターンで、自分の心の中にある思いと向き合いながら聖書を読んでみると、イエス様は厳しくもあったのです。

例えばマタイ16章のイエス様と弟子のペトロとの対話の場面を読んだ時。
イエス様は「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」(23節)と。

こんなにはっきりおっしゃるの!?と衝撃を受けました。

そして気づきました。耳が痛い言葉、よく分からない言葉は素通りして、私が欲しい、優しく励ましてくれるような御言葉だけを聖書から抜き取って「これが導きだ!」と勝手に決めつけてきたのだと。

イエス様に「あなたは自分のことばかり考え、わたしを無視している」と言われたようで、本当にその通り過ぎて何も言えませんでした。

でも初めてイエス様と目を合わせて話すことができたように感じたのです。

人に自分の願望を投影することは、その人の本当の姿が見えなくなることなのですね。

そういえば「アイドル」の語源は「idol(偶像)」です。私は「こうあって欲しいイエス様」という偶像を作りながら聖書を読んできたのかもしれません。

本当のイエス様を知りたい、知らなければいけない。今、そう思い始めています。

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