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しかしその荒野に、まず主イエスが…
それからすぐに、霊はイエスを荒れ野に追いやった。(マルコ1:12)
主イエスが洗礼を受けた場面と一続きに書かれているこの短い聖書箇所。
日本基督教団代田教会牧師の平野克己先生は、
この後に、サタンと主イエスのどちらが勝ったか記されていない(!)ことを指摘し、
その荒野での主イエスの姿に私達の姿を重ねます。
ある人が家族の問題を抱えて教会に来て、洗礼を受けました。これで楽になると思った。ところがこう仰ったのです。「先生、そうじゃないんですね。あの憎たらしい人を私は愛さなきゃいけない…どうやって愛したらいいんだろうと考えるようになりました。」
洗礼を受けると、新しい格闘が生まれるのです。戦いのない信仰は主イエスを信じる信仰とは言いがたい。愛のための戦いだからです。その時いつでもサタンが目の前をちらつきます。「そんな家族のために心痛める生き方ではなく、自分のことだけ考えたらいいじゃないか。」
実際、トラブルに対して特効薬を欲するのが
人の情というものですけれども、でも、それを求めるばかりに
私達はむしろ、本当に大切なものを見失っていくのかもしれません。
主イエスがくださるのは、「答え」ではない。
ここには主イエスの言葉は一言も記されていない。
そう強調される先生の言葉から、主イエスが何を私達に呼びかけておられるのか、
今回の「主日礼拝番組 全地よ、主をほめたたえよ」にて、
ご一緒に受け止めていきたいと願います。