FEBCの学生インターンが日常の中で主イエスを尋ね求める奮闘?の記録をお伝えします。その第1弾は、題して「アイドル?それともidol?」。昭和歌謡とK-popをこよなく愛する一人の大学生が、この世俗のただ中で生きておられる主イエスを見いだそうとする挑戦です。
令和の学生、昭和歌謡とイエス様を考える
初めまして。FEBC学生インターンの天のムジカです。
小学校入学前のあの日、テレビから流れてきた歌声にすっかり心を掴まれて以来、昭和歌謡にハマることになった私。尾崎紀世彦の『また逢う日まで』や山口百恵の『いい日旅立ち』、そしてイチオシは何と言ってもちあきなおみの『喝采』。レコード大賞を受賞した時の、涙を堪えながら力強く歌う映像には釘付けでした。
もちろん幼い私に歌詞の意味はわかりません。でもその歌声から、経験したことがないはずの切なく悲しい気持ちを感じたのです。
たまたまそんな話をFEBCの方にしたところ、思いがけず今回の企画となりました。
なぜこんなに昭和歌謡に惹かれるのか?
そのことを通して、クリスチャンである私がイエス様のことを思う。
これが私に与えられた最初のミッションです。
正直、困りました。そんなこと考えてみたこともありません。
そうしたら「昭和歌謡の何に惹かれるの?そこから自分の心の中を見つめてみては?」と言われ…。
まずは何と言っても歌です。特に心惹かれるのが堺正章の『さらば恋人』。サビで露わにされる後悔や悔しさがたまりません!
「いつも幸せすぎたのに 気づかない二人だった」
「思わず胸にさけんだ 必ず帰って来るよと」
「ふるさとへ帰る地図は 涙の海に捨てて行こう」
自分では経験をしたことがない歌詞にこんなに共感するのはなぜなのでしょう?
そういえば私が特に心惹かれるのは、暗い曲や悲しい曲です。
自分でもびっくりでした。
でも、普段は考えないようにしているけれど、自分の中にも暗さや悲しみはあります。それは人には見せられません。親しい友達や家族にも。
昭和歌謡はそんな私の心を代弁してくれているのかも…。
だとすると、本当は私、心の奥にしまってある自分の闇を表に出したい、そして誰かに聞いてほしいのでしょうか。でも誰かに話したらドン引きされそうです。自分でも「私ってこんな人だったの?」と既に引いています。
だから祈るのかもしれません。
でも、それを面倒だと感じて逃げたくなっている自分もいるんですよね。
そういえばこの前、FEBCの方と聖書の分かち合いをしていて、こんなことを言われました。
「聖書を読んで、新しい気づきが与えられても、そこで終わってしまったら何も始まらないんだよね。」
私もここからイエス様との対話を始めていきたいです。
いえ、イエス様が私との対話をもう始めてくださっているんですよね、きっと。
イエス様、私はどうやって自分の闇と向き合えばいいのかわかりません。でも、私と向き合ってくださるイエス様と、ちゃんと向き合いたいです。
番外編・「旅の音、心の音」取材同行動画もぜひご覧ください!