4-02:リスナーの声

私の信仰は、「しるしを見たから信じる」になりかかっています。

イイススは使徒派遣にあたり、病を癒し、悪霊を追い出し、死者をよみがえらせる権能をお授けになりました。現在、儀式としては連綿と続いていますが、権能が宗教、司祭、牧師に代々受け継がれているかというとどうなのでしょうか。形式的になっているとは思いませんが、御言葉に権能が加わるように求めるのは間違っているのでしょうか。中風の人、娘を亡くした会堂司、出血の止まらない女性、二人の盲人、口のきけない人、この人たちもイイススの教えを神の言葉と信じたからしるしを見たのであって、私のように疑問を持つ人には示されないかもしれません。この人たちはしるしを見たから信じたのではなく、信じていたからこそ救われたのだと思うのですが、会堂司の娘はイイススを信じていたのでしょうか。

私の信仰は、しるしを見たから信じるになりかかっています。見ないで信じるようになりたいと願っていますが、それが揺らいでいます。それにしても、権能を伝えようとしなければ伝わらないと思います。しかし、偽預言者もしるしを見せるとありますから、しるしを見たから信じるのはやはり間違っています。次のガイドと聖書通読表をお願いします。

番組「Echo of Voices」2/17より
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私にも、あり得ないことが起きているのですね

ルカ19章1節「イエスはエリコに入って、その町をお通りになった。ところが、その町にザアカイという名の人がいた。」

この「ところが」という言葉…。
不正な税金の取り立てで私服を肥やしていたザアカイは、いちぢく桑の木に登り、一見物人としてイエス様の姿を見た。これで終わるはずでした。でも「ところが」なのです。イエス様は「今日あなたの家に泊まることにしている」と。
一番驚いたのはザアカイでしょうね。「え〜!あり得ない!」イエス様の方がザアカイの家に泊まることを願って下さった!

ならば私にも、あり得ないことが起こっているのですね!私のところにも来て下さったイエス様。あ〜、なのにこの恵みを忘れ、イエス様を無視している時間がどんなに多いことか…。イエス様に対して見物人ではなく、私のところにも来て下さった主を主賓としてお迎えする時間が、少しずつでも長くなりますように。

番組「恵子の郵便ポスト」2/10より
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