4-02:リスナーの声

信者の偽善に失望し、教会に行かなくなりました。

本日も五時に起きてFEBCの放送を聞いたら、待ちに待った私の投稿「なぜガザの虐殺に触れないのか」に対する回答があり嬉しくなりました。私の求めている回答そのものでした。

「キリスト教徒の歴史は不信仰者の歴史である。信じられないでも聖書を読みつづけてきたのが私たちのキリスト教徒の歴史であり、聖書の民の歴史である。」遠藤周作の言葉「懐疑のない信仰はほんものではない。」を思い出しました。

信者の偽善に失望し教会に行かなくなった私。あの政治家がプロテスタント、この政治家もカトリックで、ますますキリスト教不信が増しました。教会は老人ばかりで、牧師はもっと勉強しろ、と思い、もう教会に行くまいと思っています。…

番組「Echo of Voices」1/20より
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母の死に、一切涙がこぼれないのです

昨年、母を天に送りました。私は母に依存しており、特に母も信仰を得てからは、会えば何時間も神様の話で夢中になり、信仰的にも支えられていました。周りの皆を励ましてばかりだったその母が、病の発覚後8カ月で天に召され…。

恵子さん、私は母の亡くなる瞬間から今に至るまで、一切涙がこぼれないのです。悲しいという感情が湧きません。実は私には、母を慕いつつも、振り回されたなあという思いが残っています。許し切れていないのだと思います。ともあれ、自分に正直で少女のようで、母ほど素直にイエス様を愛した人も知りません。

母は最期の日々に「ありがとう、楽しい人生だった」と。私はそう言えるか…。でも神様は、私も母と同じように迎え入れてくださると信じて、今からの人生を歩んでいきたいです。

番組「恵子の郵便ポスト」1/9より
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生きるってどういうことだろう

朝起き、椅子に座り、タバコを吸おうとした時、ふっと一瞬「生きるってどういうことだろう」という言葉が奥深くから湧き出てきて…しばし沈黙。

牧師先生に聞くと「わからない」と言われました。他の先生は「神を知ること」と教えて下さり、半分くらい納得しました。また、ある神父さんに「死は恐ろしくないですか」と聞いたところ、「死が楽しみ。イエス様に会えるから」と言われ、私の心に一瞬、喜びが湧きました。

私は68歳のプロテスタントの信徒ですが、死が恐ろしい。年をとった人が皆、あっという間の人生だったと口を揃えて言う、その言葉に虚しさを感じます。人生はあっという間に過ぎてしまう虚しいものなのでしょうか。生きるとはどういうことか、教えて頂けませんか。

番組「恵子の郵便ポスト」1/1より
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