「期待」を超えるもの
今回の『心のしずくを集めて―御言葉黙想(再)』では、シオンの群教会牧師の吉川直美先生と共に、あの「徴税人ザアカイ」の物語を辿っていきます。
イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」 しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」 イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(ルカ19:1~10)
今回、お話の中心になったのは、一体ここでザアカイに何が起こったか?という事でした。
もちろん、一人の男性が主イエスに出会って回心をした、という内容なのですけれども、
よくよく読んでいくと深まる謎があります。
長倉)この出会いは何だろう?って思っちゃったんですよね。ザアカイも、イエス見物じゃないですけど、ちょっと見てやろうかなっていうぐらいの感じでしょうし。
吉川)徴税人っていうのは、嫌われ者。ローマ帝国に雇われて、ユダヤ人仲間からその税金を取り立てて、なおかつ、私腹を肥やすのが普通。ザアカイはそういう人なんですよね。
長倉)猜疑心も強かったり、人に心を許すなんてことも、そうそうないような気もするんですよ。だからそんな彼が変えられるっていうことの理由がどこにあるんだろうって、やっぱり思うんですよね。誰もこんなことが起こるなんて期待もしてなかったでしょうし。
吉川)きっとザアカイ本人も期待してなかったですよね!
信仰と言うと、それを全うするために私たちの決心や選択が問われます。
それ自体は間違いないことですが、時に私たちはその自分の在り方に
「期待」が持てないことも多いのではないでしょうか。
では、ここでザアカイと主イエスの出会いにおいて起こったこととは。
私たちの思いを超えて起きる神様との出来事を、今回もご一緒に聞いていきたいと願います。