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教会、その存在意義
みなさんがご自分の教会の名前を呼ばれたら、「私のことだ」とすぐ思えるでしょうか?
これは、昨年天に召された加藤常昭先生から私たちへの問いかけです。
教会は私自身?どういうことでしょう。
つまり、信徒一人ひとりも「魂への配慮」に生きる存在であるということです。ここで言う「教会」とは、建物や組織のことではなく、キリスト者の群れ、信仰共同体のことです。信徒が主体となって自覚的に形成する信徒共同体をつくれるかどうかです。
果たしてそんなことが私にできるだろうか…思わずそう問うてしまいそうになります。
けれども加藤先生は、この「魂への配慮」に関して重要なこととして、実に印象深いルターの言葉をあげておられるのです。
どうぞ私ども、とんでもな罪人たち、頑迷固陋な罪人の仲間入りをしてください。
…ああ、あなたは絵空事の、まさしく絵に書いたような罪人になりたがっておられる。
だからこそ絵空事の、まさしく絵に描いたような救い主だけを得ようとしておられる。
キリストはあなたの真実の救い主。
あなたは真実の、大いなる、呪わるべき罪人であることに習熟していただきたい。
神が御子を送ってくださり、私どものために捧げてくださっているのに、神を軽んじ、絵空事を抱えてうろうろしないでいただきたい。
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高齢化が進み、信徒が減っていき、教会消滅の危機にある今、すべてのキリスト者が聴くべき言葉として、この加藤常昭先生による講演「教会、その存在意義―「魂への配慮」に生きる共同体を目指して」の再放送をお送りしています。
「キリストの救いを絵空事にしてはならない。我々大いなる罪人の共同体に入ってきてくれ。ここにこそ慰めがある。」
そう私たちに呼びかける声に、ぜひご一緒に耳を傾けたいと願います。